寺院によっては戒名料を払わなければ葬儀が出来ないという所もあれば、戒名料は不要で希望者には居士・大師号を与えるといった所もあります。施主の中にも、始めから戒名は高いから要らないという人がいたり、金を積んでも良い戒名が欲しいという人がいたりします。今回はこうした戒名とお金に関する話です。
1、戒名とは何か
戒名とは、仏教の信者が「これから本格的に仏弟子になり仏道修行を始めます」という時に師である者から受ける名であり、仏教徒の証であるとも言えます。本質的に考えれば良い戒名や悪い戒名と言った区別があるはずがなく、戒名はすべて良い戒名であると言えます。
戒名には信士・信女・釋・釋尼・院号・日号・居士・大師等の段階があり、
・生前の信仰の様子
・菩提寺に対する貢献度
・社会的貢献度
等を住職が総合的に評価して、その人に合った戒名が授けられます。
2、戒名に値段がついている訳
さて、ここで問題となってくるのが、近年取り沙汰されている「高額な戒名」問題です。先に結論を言っておきますと、戒名料を請求し、払わなければ葬儀をしないという寺院は早く居なくなって欲しいと思っています。もともと戒名はお金で買えるものではなく、金額を提示して払ってもらうものでもないのです。
戒名料の理屈ですが「生前の寺院に対する貢献や信仰が乏しく今のところ普通の戒名であるが、遺族が戒名料を奉納することでその布施の功徳を故人の功績と認めて上位の戒名を授けますよ」という事なのです。その「貢献」の値段が寺院によっては30万円だったり100万円だったりするわけです。
この考えには一理あるとは思いますが、それでも寺院側は戒名料を請求するべきではありません。そもそも戒名は前述の様に全てが良い戒名であるべきであり、住職は故人の生前の行いに応じてその人に合ったものを授けなければなりません。ですから、強制的に最低額を請求したり、オプションの様に上位戒名を選ばせるという事はやってはいけない事だと思います。
3、戒名を買いたがる施主側の問題とは
心理学者マズローによればだれしも承認欲求を持っており、名誉に対する欲を持っています。だとすれば、どうせ授かるならば良い戒名が欲しいと思うのが人情でしょう。しかし戒名の本質から言うならば、いわゆる良い戒名が欲しかったら生存中に信心を致し功徳を積むべきであって、世間が納得するだけの功績もないのに立派な戒名ばかりを欲しがるのは、恥ずべき事なのだと思います。
4、戒名は売り買いするものではない
戒名料の問題は寺院側と施主側、両方の心構えの問題なのです。戒名の何たるかをお互いに正しく理解し、僧侶はありのままの功績を評価して戒名を授け、施主は戒名にこだわる事無く生前の信仰を積む事が大事なのだと思います。